NJP50周年誌こぼれ話 その2 お引っ越し … NJPの事務所と練習場。(齋藤 克)

4月下旬に新日本フィル50周年誌が刊行されました。今号から1年間、ページ数の都合などにより割愛せざるを得なかったエピソードを、編集の齋藤克氏にご紹介いただきます。


最初の事務所である新宿区の都営住宅の一室からNJPの引っ越し物語は始まる。

当時(1974年)の練習場はお台場の「船の科学館」だったが、1975年に事務所と同じ新宿区に船の科学館付属の研修所として「東京海洋会館」がオープンしたため、こちらを練習場として使うようになった。この海洋会館では「オーシャンコンサート」と題する公演が2回開催されており、いずれも満席となる人気だった。

新宿の次の事務所が50周年誌の53ページにある虎ノ門の森ビルである。ビルの屋上にある事務所と聞けば「ペントハウス」をイメージするが、単に屋上に小さな事務所が乗っかっているだけで空調もなかった。ティンパニの山口浩一さんが中華料理店から用済みになった空調機をもらい受け、それを設置して使っていたが、いかんせん長年染みついた料理の匂いは消えず、空調のスイッチを入れた途端、事務所の空気は飲食店のそれへと一変した。匂いといえば、トリフォニーホールを本拠地とする前の練習場だったJR大井工場の2階も、1階は社員食堂として当時のJR職員が利用していたから、昼時の練習ともなると、階下から(こちらは作りたての料理の)匂いが立ちのぼってきた。この大井工場も空調がなかったが、ある日、大手メーカーから「空調の静音技術を試験するために、このフロアに空調機を設置させてほしい」と依頼があり、これ幸いとばかり即刻了解した。

そして、大井工場の前に利用していた練習場が渋谷区にある乗泉寺の講堂だった。事務所が虎ノ門から渋谷へ移転したからだが、乗泉寺はレベルの高い吹奏楽団を持っていて、音楽活動に理解があった。話題となったベルクの歌劇『ヴォツェック』の練習はここで行われている。

練習場は上述のほか、板橋区の高島平区民館、成城学園の「母の館(かん)」などを利用していたが、「母の館」は成城在住の人へ練習を公開することを条件に無料で借りていて、公開練習には作家の大江健三郎さんがよく来ていたそうだ。

この「引っ越し」だけでも映画になりそうなくらい面白い。それはもちろん、演奏活動に情熱を燃やす健全なる逞しさを持ったプロフェッショナルたちの物語である。

新日本フィル50周年誌「演奏は一期一会」

¥3,000(税込)

1972年からこれまでの新日本フィルの歴史を編纂しました。 小澤征爾、山本直純をはじめ、新日本フィルを創ってきた音楽家達の貴重な記録は必見。全208ページ、A4サイズ

※配送は日本国内のみ。

【付録】オリジナルCD
齋藤秀雄 指揮 モーツァルト:交響曲第39番第1楽章
山本直純 指揮 ブラームス:交響曲第1番第1楽章
小澤征爾 指揮 バッハ:管弦楽組曲第3番アリア
小泉和裕 指揮 R.シュトラウス:「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
井上道義 指揮 シューベルト:交響曲第8番第4楽章
C.アルミンク 指揮 フランク交響曲第2番第2楽章
上岡敏之 指揮 シューベルト:第5番第3,4楽章

演奏会会場やオンラインショップで販売中!

オンラインでのご購入はこちら(BASE)